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花子とアン 4月18日 [花子とアン]

花子とアン 4月18日

かよが年明けに女工として働き始めると朝市から聞いた花子。
自分が好きな勉強をしているために家族に苦労をかけていることを知る。
自分も家族のために役に立ちたいと地主の徳丸(カンニング竹山)のところに
仕事を紹介してくれと頼みに行く。しかし「この不景気の時代に仕事なんか
あるか!」と一蹴されてしまう。

花子が女学校をやめて働こうとしていることを隣の朝市の母リン(松本明子)
から聞く。花子が家に帰って来ると母、兄妹そして祖父周造(石橋蓮司)が
それぞれの言葉で花子に勉強を続けるように言う。

花子は家族の励ましに後押しされて東京へと戻る。
asaichi.jpg
http://ameblo.jp/chell604/entry-11822954464.html より引用

花子の家族、特に兄妹は花子を羨ましいと思う反面、花子を支えているという
自負、自己満足そして世間に対しては我が家の花子は女学校に行っているという
誇りがあった筈だ。しかしその拠り所が無くなってしまうとどうしていいかわから
ない。(妹のかよのセリフにその気持ちが込められていた。)
だから多少複雑な思いを感じながら花子を応援する。

明治の恐慌について
カンニング竹山がこんな不景気の時代に仕事なんかねえ!というので本当か?
と思い調べてみた。花子が職探しを頼んだのが明治42年の正月。
明治40年~41年にかけて大きな恐慌があったのは本当だった。
明治40年10月に世界恐慌が起こり日本の絹製品の輸出が激減する。
これが順次他の産業にも波及して大規模な不景気になって行く。

明治37年に日露戦争がありこの戦費を外債で賄った。
外債はいずれ絹などの輸出による貿易収入で返済する予定であったが恐慌により
返済が困難になった。また日露戦争の後の好景気により過剰な設備投資が恐慌を
さらに深刻なものにした。明治42年以降も慢性的な不況が続いたそうだ。

かよ(黒木華)は製紙工場へ女工として行くと言うが生産調整しているので
女工になるのは女工哀史の通り厳しい境遇にもかかわらず狭き門だったはずだ。
よく就職できたと思う。

今日のつっこみ
・花子の生家の家族はみんな背筋を伸ばして座っているが何故か兄の吉太郎
だけ猫背で座っている。じいちゃんでさえ真っ直ぐ座っているのに。
心の中が姿に表れるような演出か?
・先日のつっこみで何故カンニングの息子は甲府の学校に行かないかと書いた。
http://something-interest.blog.so-net.ne.jp/2014-04-17
今日隣町の商業学校に行っていると説明があった。成績が悪くて甲府の商業学校
に入れなかったけ~?
・正月早々なのに花子の父親は不在。既に行商の仕事に出たのか?
・朝市が花子と急に打ち解ける。ちょっと無理がありすぎるんじゃないの?






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