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花子とアン(第8週) 5月20日 あらすじ & つっこみ [花子とアン]

花子とアン 5月20日

教師としてのキャリアの初っ端から廊下に立たされた花子(吉高由里子)は家族や隣のりん(松本明子)らから先生に向いてないといわれて落ち込んでしまう。
朝市(窪田正孝)に励まされながら2日目の学校へ向かう。

2日目も色々と騒動が起こる。

子供を背負って登校している”たえ”と花子は自分を重ねる。
貧しくて弁当を持って来れない”たえ”が空の雲を掴んで食べる姿を見た花子は”たえ”に自分の弁当を与える。

その様子を見ていた本多校長は「軽い気持ちで情けをかけると後でもっと辛くなる」と花子をたしなめる。

その間に同級生から想像の翼があるなら屋根の上を歩けるはずだとそそのかされた”たえ”は校舎の屋根に登り屋根の端まで歩こうとしている。

roof.jpg
asadra.hoimi.tv より引用

朝市と花子がやって来て止めるが”たえ”は降りようとしない。

そこで花子は私が代わりに屋根の上を歩くと言い出し屋根に登る。
しかしバランスを崩して屋根から転げ落ちる。
朝市は花子を受け止める。二人は抱き合うように地面に倒れる。

翌朝教室に来ると黒板に相合傘の朝市/花子がかかれている。

今日のつっこみ

・花子が教師に向いていないと隣のりんは妹のももが言う。花子の母や兄もそれを否定して慰めるそぶりがない。
小作の安東家にとって花子が学校勤めでもらう給料は重要な収入源なのに他人事のように向いていないという。
りんが「向いていなくても借金を返すために働け」とフォローするが花子の家族はあいかわらずだ。
それに比べると朝市は花子をやる気にさせる。花子に対する好意もあるが師範学校で教育心理学を学んだことが役にたっている?

・花子が”たえ”の代わりに屋根に登るのはどういうことか?降りろと言えばいいのに。

”たえ”の視点から考えれば”たえ”は同級生からからかわれてそれに反発して屋根に登ったのだ。
”たえ”が屋根の上を歩くことを辞めた時点で同級生に対して”想像の翼”があると証明できなくなる。
代わりに花子が登って歩くことができても”たえ”に想像の翼があることの証明には何の役にもたたない。
それに先生から命じられて屋根から降りたと言えば”たえ”の面子も保てる。

客観的に見ても屋根の上を歩くことがやるべき価値のあることなのか?”たえ”の気持ちを考えてかもしれないが「想像の翼=屋根の上を歩く」というロジックが間違っていることを生徒達に教えることが必要だ。先生ならそのあたりのことを考えて欲しい。

花子が屋根に登る前に”たえ”ははしごを使って降りてきた筈だ。
花子が屋根に登るのを思いとどませるには充分な時間があった。朝市も緑川も手をこまねいて見ていたのはどうかしている。

それにあれだけの大騒ぎなのに何故本多校長は見て見ぬふりをしていたのか?現場の責任者として問題だ。花子は怪我をしたので労災になるかもしれない。

・生徒が花子と朝市のことを「おにあいだ。結婚するのか?アイラブユー」とはやし立てる。
子供達はアイラブユーという言葉を知っているんだ。

・本多校長をはじめとして多くの教師が英語を使ったり教えることに否定的だ。
その時代背景について少し調べてみた。
明治維新の後、不平等条約を改正するために鹿鳴館に代表されるような欧米化が推奨された。
その中で福澤諭吉や森有礼らは英語の重要性を説いた。特に森は初代の文部大臣であり英語の公用語化を主張したので明治初期の英語教育熱はかなりのものがあったと思う。

しかし明治20年台からナショナリズムの台頭により英語を敵視する動きが起きてきたようだ。
様々な論客によって日本の教育の独立のために英語を廃止せよという議論が展開されていたようだ。

そのような影響を受けた教師は英語を排除しようとしていたかもしれない。本多校長などは上記のような英語廃止論に賛同する立場なのであろう。

後に(昭和2年)島崎藤村も「模倣の時代は過ぎたので英語教育は廃止すべし」との論文を出している。

英語排斥運動には様々な理由があると思うので一概に否定はできない。しかしナショナリズムに走りすぎると視野が狭くなるのはいつの時代でも同じだと感じる。


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